当宮の由来

当宮は淀川左岸近く、1号線・佐太中町7信号東に鎮座しています。1号線に立つ一の鳥居から参道は東に向かって約100mほど続き、その間、御旅所、愛宕社、稲荷社が参道脇に祀られています。

神門を入ると、すっきりと落ち着いた境内中央奥に鈴昭和が護る唐破風付き入母屋造りの拝殿、弊殿と本殿が建立されていますが、本殿は府の指定有形文化財となっています。

また、境内の北から東側には「大阪緑の百選」に選ばれた境内林が茂り、『河内名所図絵』にみえる江戸時代の景観を、現代までしっかりと残しています。

当宮は、菅原道真公が左遷で太宰府へ流される途中、荘園であった当地に滞在された時、自作の木像や自画像を残されたと伝えられています。

道真公の死後50年の天暦年間(947~957)に、道真公を慕って祠を建てられたのが当社の創建であると伝えられ、室町期には大庭庄の惣社として崇敬されるようになりました。

現在の社殿は永井尚政・尚庸父子や淀屋辰五郎等の手厚い保護や支援を受けて整備され、江戸時代初期の重要な建造物と言われています。

有形文化財

佐太天神宮本殿(府指定)

本殿は一間社春日造であり、正面に軒唐破風がつけられています。近世の村社会における神社の有様と役割が示されており、端正な本殿と規模が大きいシコロ葺風に下屋を付加した拝殿が特徴とする貴重なものとして府の有形文化財に登録されています。

佐太天神宮太刀(府指定)

拵は金梨子地塗糸巻太刀拵であり寛文10年(1670年)の銘が記されています。また、刀身は大和守安定の作になっており、安定の作の中では大作に属する貴重なものとして府の有形文化財に登録されています。

紙本著色天神縁起絵巻(市指定)

1446年(文安3年)製作の全6巻であり、願主は在地国人と考えられる三嶋太郎右衛門入道道妙で、詞書の筆者は当時守口周辺に勢力を持っていた河内守護畠山持国の被官である誉田遠江入道金宝と考えられています。

境内社

境内社とは、 神社の境内に本社とは別に祀られている社のことです。
愛宕社

愛宕社

祭神:火産霊神
稲荷社

稲荷社

祭神:宇迦之御魂大神
白大夫社

白大夫社

祭神:白太夫之命
佐太戎社

佐太戎社

祭神:戎大神、告文天満宮、火乃迦具土神
巫女さんが清掃

各種御祈祷

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